赤とんぼ
空を濃くした
時代(とき)に舞う飛淳(広島市安佐南区)
中七の「空を濃くした時代」という表現は現実の夕焼けの光景でしょうか。あるいはこの時代に対するある種の危惧の喩えなのでしょうか。「時代」を「とき」と読むのであればやはり時代への警鐘として読めるのでしょう。どんな時代でも赤とんぼは、ただ悠々と舞っているのですが、それは刻々と変わる空の色の中で時代の中で羽の色を変えつつ何かを語りかけているのかもしれません。
心に残る言葉やフレーズ、忘れられない独特の作風。日めくりやカレンダーなどでも馴染みのある書家、相田みつを(1924~1991)の書や詩は、私たちの心に寄り添うように響きます。本展では、筆によるものだからこそ心に届く相田みつをの生きた言葉と、その書の魅力とともに、相田みつをの原点や一心に書に取り組んだ姿もあわせて紹介します。
©相田みつを美術館
「相田みつをの詩と書」の会期中に館内で募集した
「みつを で 俳句」の優秀作品5句が選ばれました。
応募総数152句の中から、俳人の夏井いつき先生に
選句、選評をしていただきました。
中七の「空を濃くした時代」という表現は現実の夕焼けの光景でしょうか。あるいはこの時代に対するある種の危惧の喩えなのでしょうか。「時代」を「とき」と読むのであればやはり時代への警鐘として読めるのでしょう。どんな時代でも赤とんぼは、ただ悠々と舞っているのですが、それは刻々と変わる空の色の中で時代の中で羽の色を変えつつ何かを語りかけているのかもしれません。
みつをの詩が力強く書かれた五行自筆の書でしょう。あるときは優しく、あるときは励ますように強く、語りかけるみつをの言葉ですが、秋のうららの中で見る五行は、ことに力強く自身を励ましてくれている。どっしりとした墨跡に佇みながら、心から秋のうららを楽しんでいるようです。
誰かを失った悲しみでしょうか。年々悲しみは褪せてゆくように記憶の彼方のものになって行くのですが、曼珠沙華を見た瞬間にまた、ふと悲しみは蘇り、そしてまた褪せるように遠のく。赤の曼珠沙華が一日一日、まるで白の曼珠沙華に変化して行くかのように悲しみは褪せて平穏を取り戻して行くのでしょう。
秋雨の中で目にとまった紅。曼珠沙華の花でしょうか。あるいはすれ違った赤い傘だったのでしょうか。全てが雨のグレートーンの中で栄える紅。「さえわたる」なので強烈な記憶を呼び覚ますものなのかもしれません。秋の雨は時に冷たく、寂しさを呼び起こすものかもしれませんが、紅はその中で点る灯りのようにいつまでも心に残るものでしょう。
怒りに思わず人をなじった後だったりするのでしょう。激情に任せてはみたものの我に返ると「怒り」は後悔を生み出すもの。ほんの少し言葉を飲み込んで冷静になるべきだったなと。蜜柑の青さが如何にも自分の青さを現しているのですね。この「悟り」はさて次に役立つのか。蜜柑の青さはまだ続くのかもしれませんね。