中村伸夫筆の達人

書家(福井県出身 筑波大学 助教授)

筆との出合い

僕は最初、新聞紙の上で書いていた記憶があるんですけどね。初めて半紙ではなく、新聞紙の上に毛筆に墨をつけて線を引いたときの感触は独特のものなんですね。鉛筆とかボールペンとか、そういうものとは全然違う感覚の世界ですよね。字が上手くなるとか下手ということではなく、筆で線を引く感覚というものが、僕は実感としてあの時の体験がありますけどね。

中国の書

書はやはり本場中国で、漢字そのものが中国で生まれて、それが日本にもいつの時代か流れてきて、つまり文字が流れてきたということは当時筆で書いていたわけですから、書という現象も流れてきたということになるんでしょうけど。

日本では独特の仮名というものも生まれましたし、漢字というものがずっと続いているんですが、やはり日本と中国の漢字の表現では、何かしらこう骨格が違うというんですかね、中国の漢字の書と日本の漢字の書を比べたとき、僕自身は日本人なんですが、やはり中国人の書というのは、単純なきらびやかさとか、流麗な美しさとか、そういうものではなくて、本質的な凄みみたいなものが中国の書にはあると思います。中国というのは、全人間的なものなんですね。単なる技術をこえた大きなことになります。

書の喜び

昔、北宋の時代に蘇軾(東坡)という文人がいたんですね。彼は、自分の人生や生活の中で一番嬉しい瞬間は何かと聞かれたときに、はっきりとこう言ったんですね。「頭の中にあるもやもやっとした感じが、はっきりと言葉として持ち出された瞬間だ」と。複雑な思いも99パーセントまで言葉として書けたと実感したとき、そのときが生きている中で一番嬉しい瞬間だといっていた。

僕らも筆で字を書くときに、何かこうしたいんだけど出来ない、頭の中にあるんだけど、それが形に出来ないもどかしさがあるんです。それが、あぁこうやれば巧くできたと。このやり方でやればこうできると目算が立ったときですね、それと同じようなことだと思いますけど、安心するし嬉しいですよね。

筆と私

筆は勿論、からだの一部みたいなものですね。自分の右腕と繋がってて、右腕の指の先にあるもので、それは言ってみれば自分に接しているものです。それは自分の脳の考えを書の線という形で伝達してくれる大事な中継の道具ですよね。実際に使うときは自分そのものですよね。