主な収蔵品
| 名称 | 大乗大集地蔵十輪経巻第九残巻 |
|---|---|
| 寸法 | 縦23.3cm×横50.3cm |
| 素材 | 紙本墨書 |
| 時代 | 奈良時代 |
| 解説 | 日本に仏教経典が伝来したのは6世紀中頃とされる。それからおよそ半世紀後の和銅五(712)年には、長屋王の発願による大規模な写経事業が行われている。本品は奈良時代初期、神亀年間の書写とされるが、植村和堂は、「点画の随所に、それよりも15年ほど遡る和銅年間の古風な写経の書に通じるものが見られる」と評している。一点一画丹念に筆を運び、筆力、字形ともに充実した写経である。 (佐藤芙蓉コレクション) |
| 名称 | 五月一日経 |
|---|---|
| 寸法 | 縦25.1cm×横50.3cm |
| 素材 | 紙本墨書 |
| 時代 | 奈良時代 |
| 解説 | 大宝積経巻第五十四の残巻。光明皇后(701〜760)が発願した一切経の内の一つ。奥書から、皇后の両親の冥福を祈って天平12(740)年5月1日に発願し書写させたものと分かる。本品には、写経の最も盛んな時期の写経体書風が見られる。 (佐藤芙蓉コレクション) |
| 名称 | 二月堂焼経 |
|---|---|
| 寸法 | 縦22.4cm×横12.0cm |
| 素材 | 紺紙銀泥 |
| 時代 | 奈良時代 |
| 解説 | 東大寺の仏堂、二月堂に伝来した華厳経巻第三の残巻。江戸時代前期の寛文七(1667)年、修二会の最中に二月堂が全焼したが、堂内に収められた60巻の華厳経の一部は、天地が焼け焦げたものの全損はまぬがれた。このことから、「二月堂焼経」の名で呼ばれる。平安時代以降の遺品で、紺紙に銀字で書写された写経は数多く残るが、奈良時代のものは本品のみである。 (佐藤芙蓉コレクション) |
| 名称 | 愛知切 |
|---|---|
| 寸法 | 縦25.7cm×横9.1cm |
| 素材 | 彩箋墨書 |
| 時代 | 平安時代 10世紀末~11世紀初期 |
| 解説 | 行書体でゆったりとした書風で、平安時代を象徴するような優雅な和様体の写経である。料紙は鳥の子、丁子吹で、表には金砂子が撒かれており、品格高い装飾となっている。愛知切は、伝藤原行成筆「無量義経」と同筆で、もとは一具の法華経の開結を担っていたと考えられる。 (佐藤芙蓉コレクション) |
| 名称 | 荒川経 |
|---|---|
| 寸法 | 縦24.9cm×横31.3cm |
| 素材 | 紺紙金泥 |
| 時代 | 平安時代 12世紀 |
| 解説 | 荒川経とは、鳥羽法皇の后、美福門院(1117~60)が発願し、平治元(1159)年に高野山に経蔵を建てて奉納した紺紙金字の装飾一切経。全5048巻中、3575巻が高野山に現存している。本品は、そのうちの大般若経巻第454の残巻。鳥羽法皇発願による一切経「神護寺経」の完成後、まもなく発願されたものと見られ、ゆえに料紙も書風も見返し絵もよく似ている。書法を見ると、転折の丸みや、点画の連続が看取され、平安時代末期の写経の特徴が表れている。 (佐藤芙蓉コレクション) |
| 名称 | 古写経手鑑 |
|---|---|
| 寸法 | 縦28.3cm×横15.9cm |
| 素材 | - |
| 時代 | 奈良~鎌倉時代 |
| 解説 | 手鑑とは、古人の優れた筆跡の断簡を貼りこんだ折帖のこと。本帖は、古写経に特化した手鑑で、天平時代から鎌倉時代にかけての古写経61葉が表裏両面に押されている。植村和堂旧蔵で、箱書き、題箋も和堂によるものである。 (佐藤芙蓉コレクション) |
| 名称 | 貫之集切 |
|---|---|
| 寸法 | 縦23.8cm×横11.2cm |
| 素材 | 紙本墨書 |
| 時代 | 平安時代 11世紀 |
| 解説 | 歌人、紀貫之の歌を集めた家集「貫之集」を書写したもので、もとは冊子本であったが、現在は断簡の十数葉が伝わるのみである。貫之集の伝本のうち、本品は「伝行成筆本」に分類されるもので、その原本は貫之自らが選んだ和歌を集成した家集と考えられており、資料的価値が極めて高い。潤渇と連綿を駆使し、力強く流麗な筆致で書写されており、熟成した仮名の美しさが見られる。 (佐藤芙蓉コレクション) |
| 名称 | 唐紙和漢朗詠集切 |
|---|---|
| 寸法 | 縦21.1m×横5.3cm |
| 素材 | 紙本墨書 |
| 時代 | 平安時代 11世紀 |
| 解説 | 藤原公任の撰による「和漢朗詠集」の写本の断簡で、唐紙に書かれているためこの名で呼ばれる。現存するのは上巻のみで、本品も上巻、夏「端午」の部分である。料紙の裏面にも書写している断簡が存在していることから、もとは冊子本であったと考えられている。伝称筆者は藤原公任とも源俊頼ともいわれるが、筆を倒し気味に書く側筆を使用した、やや癖のある書風で、藤原伊房筆「藍紙本万葉集」と同筆ともされる。 (佐藤芙蓉コレクション) |
| 名称 | 二条切 |
|---|---|
| 寸法 | 縦25.4m×横15.2cm |
| 素材 | 紙本墨書 |
| 時代 | 平安時代 12世紀 |
| 解説 | 「二十巻本類聚歌合」の断簡で、巻第十七を書写したもの。筆者は藤原俊成の父、藤原俊忠(1073~1123)とされているが、現存する断簡は異なる三つの書風にわかれるうえ、同じく二十巻本類聚歌合の断簡である伝藤原忠家筆「柏木切」の中に同筆のものがみられる。側筆を用い、起筆や転折は強く打ち込んで書かれており、紙には複数の横にひかれた界線がある。平安朝の優美な書風から離れ、個性的な新しい書風への展開を思わせる。 (佐藤芙蓉コレクション) |
| 名称 | 住吉切 |
|---|---|
| 寸法 | 縦26.9m×横7.6cm |
| 素材 | 紙本墨書 |
| 時代 | 平安時代 文治6(1190)年 |
| 解説 | 伊勢、加茂、広田、春日、住吉の五社に、藤原俊成(1114~1204)が自詠の和歌百首を清書して奉納した自筆本で、現在は断簡「五社切」として伝わる。もともとは巻子本であった。住吉社に奉納した巻子の断簡が特に「住吉切」と呼ばれる。巻末の断簡から俊成が77歳のときの書であることがわかっており、俊成独特の鋭利で力強い筆跡が見てとれる。 (佐藤芙蓉コレクション) |
| 名称 | 佐竹本三十六歌仙絵巻 田中親美模本 |
|---|---|
| 寸法 | (上巻)縦36.9cm×横1115.2cm (下巻)縦37.0cm×横1415.0cm |
| 素材 | 紙本木版刷 |
| 時代 | 大正11(1922)年 |
| 解説 | 佐竹本三十六歌仙絵巻の分割にあたって作成された模本。「西本願寺本三十六人歌集」や「平家納経」の模写を手掛けた古筆研究家、田中親美(1875~1975)が監修した。料紙のしみや絵の損傷も正確に写し取っていることから、分割時の状態を窺い知ることができる。 (大内基康コレクション) |
| 名称 | 観普賢経残巻 |
|---|---|
| 寸法 | 縦26.0cm×横375.0cm |
| 素材 | 紙本墨書 |
| 時代 | 平安時代 |
| 解説 | 使用済みの紙を漉き返した宿紙に墨界を引き、『妙法蓮華経』の結経である『観普賢経』を書写したもの。巻末には元暦二年(1185)に訓読点を加えた旨を記す奥書がある。やや行書風の書きぶりで、横画の短化や転接の円転などに簡略化が進んだ様が見られる。文中に付された片仮名は、本文の筆者と同筆である。昭和9年(1934)、松田福一郎氏所蔵の時に、重要美術品に認定されている。 (大内基康コレクション) |
| 名称 | 民部切古今和歌集 |
|---|---|
| 寸法 | 縦25.0cm×横16.0cm |
| 素材 | 紙本墨書 |
| 時代 | 平安時代 |
| 解説 | 『古今和歌集』の写本であり、元は冊子であった。料紙は白の具引地に白雲母で唐草文を摺り出した唐紙を用いている。名称は民部大輔・小輔に任じた大名の旧蔵にちなむとされる。「民部切」について、いくつかの断簡を化学的調査した結果では、江戸時代の紙であることが判明し、唐紙としての雲母文様には、以前から和製のもので、時代が下がるという意見もあったが、詳細は不明で、時代の異なるものが混在しているという意見もある。本作は、いずれの時代かは不明としても筆致の上では優れた仮名の美を示している。 (大内基康コレクション) |
| 名称 | 拾遺和歌集断簡 |
|---|---|
| 寸法 | 縦22.0m×横11.5cm |
| 素材 | 紙本墨書 |
| 時代 | 鎌倉時代 |
| 解説 | 本作は後鳥羽天皇の筆と伝わる『拾遺和歌集』の断簡。もとは冊子本で上下二冊があったと考えられている。現存する断簡は少なく、本作を入れて六葉が確認できるのみである。筆者は明確には不明だが、鎌倉時代中期の書写とされている。 (大内基康コレクション) |
| 名称 | 源氏物語 末摘花一節 |
|---|---|
| 寸法 | 縦16.0cm×横16.0cm |
| 素材 | 紙本墨書 |
| 時代 | 南北朝時代 |
| 解説 | 作は『源氏物語』末摘花の一節が書写された断簡で、形状からして元は冊子本であったと考えられる。非常に細くしなやかな線で書写されており、相当爛熟した腕をもつ者の筆跡と言える。 (大内基康コレクション) |
| 名称 | 短冊手鑑 翰園 |
|---|---|
| 寸法 | 縦38.0cm×横6.0cm |
| 素材 | 紙本墨書 |
| 時代 | 南北朝時代~明治時代 |
| 解説 | 南北朝時代から明治時代にかけての天皇、皇族、公家、その他の人々が書した和歌短冊百葉を収録した折帖。各年代の貴族階級の筆跡が一覧でき、変遷や類似性を鑑賞することができる。 (大内基康コレクション) |
| 名称 | 紹巴切後撰和歌集 |
|---|---|
| 寸法 | 縦22.6cm×横14.4cm |
| 素材 | 紙本墨書 |
| 時代 | 鎌倉時代 |
| 解説 | 藤原定家(1162~1241)は鎌倉時代初期の歌人、歌学者。『新古今和歌集』の時代の歌壇を代表する歌人である。また、多くの歌集、歌論書、古典模写本を遺したことでも知られる。その独特な書風は「定家様」と呼ばれ、後世に影響を与えた。
本作は素紙に『後撰和歌集』を書写した断簡。名称は連歌師・里村紹巴旧蔵にちなんだもの。定家独特の奇癖のある書風で、小ぶりながらも自然な筆脈のものとに書写されている。 (大内基康コレクション) |
| 名称 | 鶏之図 |
|---|---|
| 寸法 | 縦31.0cm×横48.0cm |
| 素材 | 紙本墨書 |
| 時代 | 江戸時代 |
| 解説 | 徳川家綱(1641~1680)は、江戸幕府第四代将軍。11歳で将軍職を継ぐ。それまでの強権的な武断政治から方針を転換し、「文治政治」を行った。末期養子の禁の緩和、大名証人制度の廃止、殉死の禁止などがその実例である。家綱は絵画や茶など、文化への造詣が深いことで知られる。生涯に多くの鶏の絵を描いているが、一作ごとに表情が異なる。本作もその一つ。尾羽の伸びやかな運筆からは、筆をよく使いこなす様子が見て取れる。 (大内基康コレクション) |
| 名称 | 七言絶句幅 |
|---|---|
| 寸法 | 縦108.0cm×横42.0cm |
| 素材 | 紙本墨書 |
| 時代 | 明治時代 |
| 解説 | 大日本帝国憲法の制定や内閣制度確立の中心人物、伊藤博文(1841~1909)の書。初代内閣総理大臣をはじめ、四度首相を務め、日本近代化の礎を築いた。春畝は号。漢詩、書に優れ、残された書作品も多い。本作は、第三、四次伊藤内閣の書記官長を務めた鮫島武之助旧蔵とされる。当時、士族に学ばれていた唐様書の影響がみられる。 (大内基康コレクション) |
| 名称 | 五言絶句幅 |
|---|---|
| 寸法 | 縦128.0cm×横32.0cm |
| 素材 | 紙本墨書 |
| 時代 | 明治~大正時代 |
| 解説 | 犬養毅(1855~1932)は、明治から昭和にかけて政党政治の確立に貢献した政治家。岡山県出身。第一回総選挙に当選後、連続当選し、42年間にわたり衆議院議員を務めた。76歳のとき第二九代内閣総理大臣に就任、満州事変を話し合いで解決しようとするも収拾できず、立憲政治擁護を主張したことから軍部の反感をかい、五・一五事件で射殺された。木堂は号。文章に長け、漢籍の素養も深く、達筆で知られる。書は中国北宋時代の米芾、蘇軾などの書法を好み、書作も数多く残る。本作は、中国唐代の詩人劉長卿の詩。右上がりにうねるような独特の線が特徴的。犬養は書作の折に、「雲」字を含む詩句をよく用いており、北宋時代の文人趣味的な価値観への愛好も窺わせる。 (大内基康コレクション) |
| 名称 | MO 妄 |
|---|---|
| 寸法 | 縦137.3cm×横68.6cm |
| 素材 | 紙本墨書 |
| 時代 | - |
| 解説 | 宇野雪村(1912~95)は、前衛書のパイオニアとして知られる書家。兵庫県美方郡大庭村(現・新温泉町)生まれ。御影師範学校卒業後、上田桑鳩に師事。桑鳩とともに戦後前衛書の理論と実践を押し広げた中心人物である。 (駒井光明コレクション) |
| 名称 | BO 忘 |
|---|---|
| 寸法 | 縦135.8cm×67.0cm |
| 素材 | 紙本墨書 |
| 時代 | - |
| 解説 | (駒井光明コレクション) |
| 名称 | 源通具俊成卿女五十番歌合切 |
|---|---|
| 寸法 | 縦24.0cm×横15.0cm |
| 素材 | 紙本墨書 |
| 時代 | 鎌倉時代 |
| 解説 | 藤原定家(1162~1241)は、和歌・書・歌学に卓越し『新古今集』編纂を主導した中世随一の歌人。源通具と俊成卿女が催した私的な五十番歌合に、定家が判詞を付した草稿断簡。鋭く張りのある筆致が特徴で、定家特有の癖が強まる以前の壮年期の書風を示す資料として重要である。 |
| 名称 | 紫式部集切 |
|---|---|
| 寸法 | 縦19.1cm×横13.2cm |
| 素材 | 紙本墨書 |
| 時代 | 鎌倉時代 |
| 解説 | 本作は、定家が平安中期の女房で『源氏物語』の作者・紫式部の自撰歌集『紫式部集』を書写したとされる現存最古の写本の一葉である。定家は、線の太細の変化が強く、字形が独立して方形を成す独自の書風「定家様」を生み出した。その特徴がよく表れている。 |
| 名称 | 桐図屏風 |
|---|---|
| 寸法 | 縦105.6cm×横278.6cm |
| 素材 | 紙本墨画淡彩・墨書 |
| 時代 | 江戸時代(寛政9年~享和年間) |
| 解説 | 江戸後期の絵師・酒井抱一(1761~1829)が画を、国学者・加藤千蔭(1735~1808)が書を手掛けた共作。琳派伝統の「たらし込み」や金泥を駆使し、先例を発展させた構図で遠近感のあるゆったりとした空間を描き出している。画面には『夫木和歌抄』の桐の歌三首が千蔭の流麗な書で添えられており、当時の風雅な交友関係を今に伝える貴重な作品である。 |