熊野筆の歴史
筆づくり工程
下仕事
台仕事
仕上げ
伝統工芸士
Q&A
筆の宇宙
古代文明と文学
飛鳥・奈良時代
平安時代
鎌倉・室町時代
桃山・江戸時代
近代・未来
筆の用途
【書】筆の使い方
【書】篆書
【絵画】水彩画
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化粧
筆の達人
長野秀章
中島千波
坂井由紀子
中村伸夫
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【絵画】日本画
絵てがみ
化粧
筆の達人
長野秀章
書道家
中島千波
日本画家
坂井由紀子
メーキャップアーティスト
中村伸夫
書家
増田美恵子
絵てがみ作家
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Q&A
Q-1
熊野の筆づくりは、何年くらい続いていますか?
熊野の筆づくりは、1830年ごろ、江戸時代の終りに始まり、現在までおよそ180年くらい続いています。
Q-2
熊野町で筆づくりが始まったきっかけは何ですか?
熊野の人々は、18世紀後半(江戸時代末期)には、主に農業でくらしを立てていましたが、中には、大阪、有馬(兵庫県)、奈良地方から筆や墨を買い入れて、それを各地に売りさばいているものもいました。このことがきっかけとなり、1835年(天保5年)、佐々木為次(ささき・ためじ)という若者は、筆や墨の売りさばきをしていた墨屋長兵衛(すみや・ちょうべい)により、摂津の国(兵庫 県)有馬に派遣され、4年間筆づくりを学んで、1839年(天保9年)、熊野へ帰ってきました。
また、1846年(弘化3年)、井上治平(いのうえ・じへい)という若者は、孫井田才兵衛(まごいだ・さいべえ)が招いた、浅野藩(広島県)につかえる「筆司(ふでし)」から筆づくりを学びました。
さらに同じころ、乙丸常太(おとまる・つねた)という若者も、有馬で筆づくりを学び、熊野へ帰ってきました。
筆づくりを学んで村に帰ってきた彼らは、筆づくりの技術を村人に教えました。
彼らの熱心さと、村人の努力によって、筆づくりは熊野でさかんになっていったのです。
Q-3
熊野町が全国一の生産量を誇ると言われるまで、筆づくりがさかんになったのはなぜですか?
一つ目の理由は、小学校で書写・習字教育が始まり、授業で筆を使うようになったこ とです。
1872年(明治5年)に学校ができてから、熊野町の筆づくりは急にさかんになりました。
1900年(明治33年)には、義務教育が4年間になり、学校に行く子供たちの数がふえ、それとともに筆の生産量もふえていきました。
二つ目の理由は、全国にあった多くの筆の産地で、筆づくりをしなくなっていったことです。
今まで筆づくりをしていた筆の産地、特に都市では、昭和30年代に新しい工業がさかんになり、筆づくりはしだいに衰えていきました。
熊野町は都市近郊の街でありながら、四方を山に囲まれた盆地であるため、その時期にはまだ新しい工業が入って来ておらず、筆づくりが以前と変わらず続いていったのです。
Q-4
熊野町では、画筆や化粧筆は、いつごろからつくられているのですか?
1945年(昭和20年)、第二次世界大戦後に習字教育が禁止され、熊野筆の生産量がぐんと落ち込みました。
この時期、熊野町の人々は、生計を立てるため、 筆づくりの技術を活かして画筆や化粧筆の生産を始めました。
また、1958年(昭和33年)には、習字教育がふたたび始まり、書筆の生産量も息を吹き返しています。
Q-5
「伝統的工芸品」とは何ですか?
伝統的工芸品は、通商産業大臣(現在の経済産業大臣)が指定します。
その条件は以下のとおりです。
1.主として日常生活の用に供されるものであること。
2.その製造過程の主要部分が手工業的であること。
3.伝統的な技術、または技法により製造されるものであること。
4.伝統的に使用されてきた原材料であること。
5.一定の地域で産地を形成していること。
熊野筆は、1975年(昭和50年)5月10日に、通商産業大臣より「伝統的工芸品」の指定をうけています。(書筆のみ)
Q-6
「伝統工芸士」とは、どんな人ですか?また、どのようにして「伝統工芸士」になるのですか?
「伝統工芸士」とは、通商産業省が指定した伝統的工芸品の産地で、工芸品づくりの長い経験と高い技術をもつ人の中から、通商産業大臣に認められた人のことです。
熊野筆の伝統工芸士は、筆づくりの経験年数が12年以上あり、熊野筆の産地の発展のために努力する人の中から、筆記試験・実技試験(実際に筆をつくる試験)・1か月以内につくった筆の審査などによって選ばれます。 熊野筆の伝統工芸士は、自分の筆づくりの技術を高めることはもちろんのこと、熊野筆をつくっている人々に筆づくりの技術を教えたり、後つぎを育てるなど、筆のまち熊野町の発展に努めなければなりません。 熊野町にいる約1,500人の筆司の中から、こうして認められ活躍している熊野筆の伝統工芸士は、現在11人います。
Q-7
熊野町には、筆づくりの仕事をしている人が何人いますか?
熊野町では、約2,500人の人々が筆づくりの仕事をしています。
そのうち、毛筆約1,500人、画筆約500人、化粧筆約500人です。
Q-8
「筆司(ふでし)」とは、何ですか?
筆司というのは、毛筆で一番大切な毛の部分をつくる人のことです。
Q-9
筆をつくる時に苦労していることや、工夫していることは何ですか?
パンフレットの筆のつくりかた「1,穂首づくり 選毛、毛組み(せんもう、けぐみ)」が一番難しい筆づくりの工程です。
いろいろな性質の毛をどのようにまぜるかが、筆司の人々が苦労するところです。
筆を使う人や注文する店・会社が満足し、喜んでもらえる筆をつくるために、筆司は 毎日研究を重ねています。
Q-10
どうしていろいろな毛をまぜて筆をつくるのですか?
毛によって特徴が違うので、それぞれの毛の特長を活かして、使いやすい筆をつくるために、いろいろな毛をまぜるのです。
Q-11
筆の材料は何ですか?また、それらはどうやって手に入れていますか?
一本の筆は、大きく分けて穂首(ほくび/墨をつける毛の部分)と軸(じく/手に持つ 部分)に分けられます。
穂首の材料は、主に動物の毛で、馬、鹿、山羊(やぎ)、タヌキ、イタチ、猫などがあり、化粧筆にはリス、画筆には豚、ナイロンなども使います。しかし、熊野町にはこの材料がありません。 日本でとれる動物の毛は、馬や狸など少しはありますが、そのほとんどは中国をはじめ、北米(カナダ)などから、輸入しています。
動物の毛を輸入している日本の会社を通じて、熊野筆事業協同組合や熊野町内の会社が買っています。 軸の材料は、主に竹や木です。これも熊野町にはなく、大部分が岡山県や島根県、兵庫県から熊野町内の会社が買ったり、中国、台湾、韓国など外国から輸入しています。
Q-12
筆によく使う毛は何ですか?
主に馬、タヌキ、イタチ、鹿、山羊(やぎ)などの毛が使われています。
また、人間の赤ちゃんの髪の毛でつくる胎毛筆(たいもうふで)、藁(わら)、竹など植物の繊維や孔雀(くじゃく)、水鳥など鳥の羽根でも筆を作ることが出来ます。
Q-13
熊野町では、一日何本の筆ができますか?また、一本の筆をつくるのに、どれくらいの時間がかかりますか?
熊野町では、毛筆は一年間に約1,500万本つくられています。
一日に約5万本つくっていることになります。
一人の職人が一ヵ月間につくる毛筆の数は、約1,000本から2,000本です。
一日におよそ50~100本つくっていることになります。
また、筆づくりは「一本の筆を最初から最後まで一人の職人がつくる」というつくり方をしません。
つくろうとする本数の筆の材料をまとめて買い、穂首づくり、くり込み、仕上 げ、銘彫刻など、それぞれの工程を受け持つ職人が分業でつくっていきます。
このため、一本の筆ができるまでの時間は、正確に計算することができないのです。
Q-14
熊野筆の販売量はどれくらいですか?
販売量 販売額
毛 筆 1,000万本 45億円
画 筆 1,200万本 25億円
化粧筆 2,800万本 40億円
(H18年度)
Q-15
熊野筆の筆づくりは、なぜ機械化できないのですか?
筆をつくる工程は、筆の大きさや種類によっても違いますが、およそ70以上もあり、ほとんど手づくりでしています。
材料の毛の性質が動物の種類によってすべて違います。
人間の髪の毛にも硬いもの、柔らかいもの、癖のあるものなどいろいろあるように、同じ種類の動物でさえも生息地(せいそくち)や年令などによって性質に違いがあります。
その違った性質を読みとり、筆の形につくることは、今の技術では、機械にはできないのです。
人間の長年の経験と高い技術を持った筆司の勘(かん)が頼りなのです。
以前、熊野筆事業協同組合で、動物の毛に含まれている油を抜き取る工程の作業を機械化する研究が行われましたが、やはり機械化は難しいという結果になりました。
筆の軸の部分をつくるときには、一部、機械化されています。
これは、軸を切ったりする場合や、軸の材料が木の場合です。
しかし、大部分の筆の軸に使われる竹を加工する場合は、竹の太さや硬さ、曲り具合などが一本一本違うので、機械化できないのです。
Q-16
筆づくりの技術を身につけるためには、どのくらいの期間がかかりますか?
熊野町では毛筆・画筆・化粧筆をつくっていますが、どの筆づくりも、一人前になるには長い年月が必要です。
筆づくりには、たくさんの工程があり、穂首をつくる人、筆軸をつくる人、穂首を軸にはめ込む人、軸に名前を彫刻する人など、それぞれの工程ごとに職人がいます。
それぞれ一 人前になる期間は違いますが、穂首を全部一人でつくれるようになるには、最低10年はかかります。
Q-17
熊野筆は、どこに出荷されて(送られて)いますか?また、一番多く出荷されているのはどこですか?
熊野筆は、熊野町内の毛筆製造業者や卸業者から、全国の筆問屋、文具小売・卸店、 書道用品店、デパート、書道塾などに出荷されています。
一番多く出荷しているのは、それらが集中している東京等の大都市が最も多いでしょう。
Q-18
筆の値段は、どのくらいするのですか?
小学生の皆さんが使う大筆は、1,000円から3,000円くらい、小筆は、500円から2,000円くらいが多いでしょう。
書道家や芸術家が使う筆は、1万円から20万円、中には50万円以上するものもあります。
筆の値段は、材料の値段と筆司の技術によって、決められます。
Q-19
筆は、何センチくらいのところを持って書くのですか?
持つところは、書く人によってまちまちで決まってはいません。
自分が書きやすいと ころを持っていいのです。
ただ、一般的には、あまり穂首の近くを持つと、筆の動きが小さくなりますので、よくないかも知れません。
Q-20
熊野町の筆づくりでこまっていることや問題は、どんな事ですか?
一つ目の問題は、他の伝統産業と同じように、熊野町の筆づくりも、後をつぐ人が少なくなってきたことです。
若い後つぎをつくり、育てることが必要です。
後つぎが少なくなってきているのは、熊野町から広島市、呉市へ行く交通が便利になり、筆づくり以外の仕事をするため、勤めに出かける人が増えてきたことです。
また、筆づくりは根気のいる手作業が続くので、若い人がやりたがらないということも原因です。
この問題を解決するため、熊野町や熊野筆事業協同組合では、後つぎをつくり育てようとする会社に筆の原材料を与えたり、筆づくりの勉強会を開くなどの努力をしています。
その努力もあってか、近ごろは“ゆとりと心の豊かさのある生活をしたい”という人々も少しづつふえてきて、伝統的工芸品の手づくりのあたたかさと本物の良さが見直されてきています。
もうひとつの問題は、中国筆(中華人民共和国でつくられた毛筆)との競争が、年々激しくなってきたことです。
中国には筆の原材料が豊かにあり、筆づくりにかかる費用も安く、日本でつくるより安く筆ができるので、手ごわい競争相手になりました。
熊野町では、中国筆との競争に負けないために、熊野筆事業協同組合を中心に、より質のいい筆をつくるための努力を続けています。