桃山時代、乱世の世に断絶した平安の雅やかな作風が復活します。特に本阿弥光悦と画家俵屋宗達の共作「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」は、王朝古典の復興を物語る代表的な作品です。桃山末期から江戸時代前期にかけて活躍した、明るくおおらかな彼らの作風は、新しい時代の息吹のなかに華やかな王朝古典を再現しています。
江戸時代になると、王朝貴族や特権階級を中心に発展した書の文化は、急速に一般庶民へ浸透します。歌舞伎や浮世絵という代表的な庶民文化が誕生し、寺子屋制度で庶民が文字に触れる機会は飛躍的に増えました。公式文書や寺子屋の手本に用いられた「御家流」の書風、相撲の番付や歌舞伎の幟などで知られる「勘亭流」の書風も誕生しました。
また文人や僧侶の間では唐様書道も盛んで、江戸末期には書の主流になりました。このように、書風そのものが多様化し、暮らしの安定感や余暇の楽しみを膨らませる、付加価値のひとつになったのです。
学問を望み、娯楽や芸術を楽しむ庶民の暮らしは、製筆や製紙の技術を発展させます。元禄期、学者の細井広沢は、中国の筆に発想を得て、筆の製法に改良を加えます。固い毛と軟らかい毛を混ぜ合わせて筆を作る「練り混ぜ」法です。「練り混ぜ」法は、現在も使われている製筆法です。江戸時代以前、日本では、麻の紙を芯に用いた有芯筆が多く用いられていました。広沢は練り混ぜ法により、「水筆」と呼ばれる「芯無筆」の製法を確立したのです。これにより、大小様々な筆が用途に併せて製造されるようになりました。
筆の発達は、書のみならず装飾の世界にも大きな役割を果たしました。指先に神経をとがらせる伝統工芸の職人たち。その感覚を忠実に表現する筆へのこだわりが、製筆技術を高めていきます。大名の調度品を彩った蒔絵。細密な筆の技が活きています。伊万里焼や九谷焼に見られる多彩な絵付けの技と多様な筆。日本の生活文化と美意識を現在に伝える伝統工芸の多くは、この時代から受け継がれています。