化粧筆-化粧筆づくりに活かされる伝統技術
熊野での化粧筆づくりの歴史 (竹森鉄舟)
熊野で化粧筆の生産が始まったのは大正時代である。熊野の若者が、当時化粧筆を生産していた大阪の八尾に行き、技術を習得して帰ったのが契機という。また、同様に化粧筆を作っていた愛媛から熊野に職人を招き、技術の向上を図ったようでもある。
1929(昭和4)年の熊野町商工会の案内には、化粧刷毛の広告が多数掲載されるようになり、ぼたん刷毛、おしろい刷毛、板刷毛、藤巻筆、粉刷毛、水刷毛、紅筆などが紹介されている。ただし、こうした化粧道具は、おもに着物を着るような職業の人や舞台などで使われていたと考えられる。
昭和戦後期に入ると化粧道具の材質やデザインも変化し、幅広い人々に使われるようになった。ハンドル(軸)は、それまでステロイドやラクトロイドなどで作られていたが、プラスチック製へと変わっていった。さらに、現在では多彩な色のプラスチックでも作られるようになっている。
熊野での化粧筆づくり
昔から筆づくりには、半差し(はんさし)と呼ぶ小刀が、どうしても欠かせない道具である。これで切れた毛や逆毛などの悪い毛を取り除く。それから櫛も欠かせない。櫛は毛の乱れ、もつれを直して整える。毛には動物の綿毛なども入っているため、櫛の目は3種類くらいを使い分けている。
このように整えた毛は、化粧筆の形に彫った小さな臼のような木型、「こま」に、毛先の方を下に、根元を上にして入れ、こまごとバイブレーターに乗せて振動させて、形をまとめる。そうしてできた毛束をとり、手で「もみ出し」て、化粧筆の微妙な形を作っていく。その後さらに、半差しを使って、最終的に悪い毛を手作業で取り除く。
熊野の技術は筆づくりから発しており、半差しで徹底的に毛を選りすぐって作るため、肌に優しい筆ができている。このことが、国内だけでなくて外国にまでも受け入れられているのではないかと思っている。 化粧筆づくりは、日本人ならではの繊細な感覚による緻密な作業である。